では知能指数とはなんでしょうか?
脳が動いているか働いているかを数値化したものです。
だからIQテストは、脳が動いているか働いているかを数値化するテストとなります。
参加者の得点の平均を「IQ=100」として数値化しました。
ちゃんと社会で生活をおくるためには、読み書き、コミュニケーション、ちゃんと理解できる、問いに答えることができる、ある程度の計算、ある程度の思考、など最低限必要であろう常識的知力が必要です。
年齢に対してある程度適正な常識的知力がともなっていないと、ちゃんとした社会生活をおくることができない。
だからその知力をいったん数値化する、というのが本来の目的でした。
そのため対象となる集団に対して、だれでも回答できるような常識レベルの知力の問題に回答してもらい、その参加者達がちゃんとある程度の範囲におさまっているかどうかを判断するためのものでした。
範囲の外にいる人がいるならば、そういう人を探して、知力を身につけさせればいい、という素朴な目的ですね。
時代を経て、IQのイメージが変化していきます。
デスクワークの増加、学歴社会、など環境の変化により、「脳を使うこと=生きていくための手段」として直結していく時代になっていきます。
人よりも頭がいいほうが有利な場面が増えてきました。
得る所得が違ってきたりするとさらに拍車がかかっていきます。
そしてゲーム感覚で数値を競うようなことも多く見られるようになりました。
脳をフルに使って活性化していれば脳の能力は高まり、活性化していなければ脳の能力は低くなるでしょう。
運動能力と同じように考えれば、IQは変化するでしょう。
歴史的な背景からみてもそれは明らかです。
IQが100より高ければ、「現在は平均的な人よりもおおむね脳は回転している」、とし、
IQが100より低ければ、「現在は平均的な人よりもおおむね脳は回転していない」、と考えればわかりやすいと思います。
あくまでも数値化された目安です。
数値を極めるのもそれはそれでいいのですが、あまり得がありません。
実際の社会生活において、難題を解決したり、すばらしいアイデアを思いつく、というほうが実益につながりやすかったりします。
ということで、脳を使うことをおしまずいい準備状態にして保っていく、のがいいのではないでしょうか。